ソン君のニャアニャア 〜上海の思い出〜

随想録

 これは私の上海語学留学中のお話である。

 ある日のこと、私はルームメイトのソン君と部屋でおしゃべりしていた。

 ソン君は体は細いけれどよく体を鍛えていて、実は筋肉ムキムキなのだ。力こぶを作ってみせるソン君を「わあ、すごいね!」と褒めてあげると、ずいぶんご満悦の様子。

「ボク、こうやって鍛えてるんだ」

「ほら、こんなこともできるよ!」

 いつの間にか、ソン君の筋肉披露大会が始まった。大して興味はなかったけれど、うれしそうなソン君に水を差すわけにもいかず、彼ご自慢の筋肉をにこにこ眺めてしばらく経った頃のことだった。

「ちょっとニャアニャア」

 そう言ってソン君はちょっと恥ずかしそうに笑いながら部屋を出ていった。何と言ったのかさっぱり分からずきょとんとしていると、ソン君はすぐに戻ってきた。どうやらトイレに行ってたらしい。

 「ニャアニャアって何だったんだろう?」と少し気になったが、お茶目な感じでふざけて言ったのかなと思い、そのときは特に突っ込んで聞かなかった。

 後日、日本人の友達に「なんかね、ソン君がニャアニャア言ってトイレに行ったの」と話すと、友達からは「何それ、気持ち悪い」のひと言。私も「そうだよね」と苦笑した。

 一応、辞書でも「ニャアニャア」っぽい言葉を調べてはみたが、それらしき単語は見つからなかった。しばらくは気になっていたが、いつしかそんなことはすっかり忘れ、月日が過ぎていった。

 翻訳の仕事をするようになって数年後、何かの単語を調べているとき、「あのときのニャアニャアって、もしかしてニャオニャオかも!」と急にひらめいた。

 調べてみると、あっけなく「尿尿」(niaoniao)で見つかった。「おしっこ」という意味だった。あのとき、ソン君は「ちょっと、おしっこ!」と言ったのか。恥ずかしそうな表情も含めすべてが腑に落ちた。

 ソン君はトイレに行ったのだから、「トイレ」や「おしっこ」の意味だろうと推測できてもよかったはずだ。「おしっこ」の意味の中国語を調べていけばこの単語にたどり着いたに違いない。だがあのときは、ソン君のはにかんだ顔から放たれた「ニャアニャア」のインパクトがあまりに強すぎて、そこまで考えが及ばなかった。正直言うと、私はあのとき、「ソン君、私に甘えてるの?」とさえ思っていたのだ。

 あれからずいぶん経ったが、 「ニャアニャア」と言って出ていったソン君を思い出すたびに、ついつい笑ってしまう。自分のヒアリング力の低さを棚に上げて、ソン君を「気持ち悪い」呼ばわりして本当に申し訳なかったと、今では反省している。

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